眠れない夜に考える

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今日は変な時間に目が覚めてしまったので、普段は書かないことを書こうかと。

昨日こんな本を買って来て読みました。

(ひさしぶりにアフィリエイト使った・・・)

頑張らない、無理しない、と書いてありますが、「意外とのび太って努力してたんじゃん」というのが感想ですね。

ところで、のび太で思い出したことがあります。
長い間記憶の中に封印していたことですが、もういい大人だし、先日とあるきっかけでトラウマを克服することができたので書いてみようと思います。


幼稚園から小学生の頃はいじめられていました。

小さい頃は特にこれという取り柄もなく、運動は全くダメでした。
小学生の間は50m走は12~13秒。ソフトボール投げは全力で投げて15m。水泳は3年生くらいまで5mしか泳げず、逆上がりができたのは大人になってからでした。自転車に乗れたのも2年生になってからでした。

幼稚園の頃、毎日が嫌で嫌でしょうがなく、「幼稚園なんか辞めてやる」「家出してやる」「死んでやる」「どうして産んだ」と母親に泣きながら食って掛かっていたのを覚えています。

初めて自殺しようとしたのは4歳の時です。タオルで首を吊りましたが、子供のやることですから当然失敗しました。これまで何人か自殺、自殺未遂をした人に会いましたが、さすがに幼児は見たことがありません。


幼稚園の頃は幼いので記憶もあいまいな所が多いのですが、小学生の時の記憶は陰惨です。そもそも思い出す映像に色がありません。
制服に歯磨き粉を付けられる、靴を隠されて仕方なく上履きで帰るのはよくありました。
ストレスからか2年生の頃は昼間遺尿がありましたし、喋るのも上手ではありませんでしたからよくからかわれていました。言い返すことができないので相手を殴ったりすると「暴力はいけません」「喧嘩両成敗」と先生から言われて、僕ばかり怒られていました。

「暴力はいけないって言うけど、言葉の暴力はいいの?怪我は治るけど、心の傷はいつまでも治らないよ」
「喧嘩『両』成敗って言うのに、どうして僕だけ怒られるの?」
「どうして僕があいつを殴った理由は聞いてくれないの?」

・・・などなど、思ってはいましたがやはり先生には言えず・・・
言った所で20年前の学校現場なんて、先生だって殴る蹴るは当たり前でした。今じゃ考えられないですが。
母親はこんな息子を抱えてさぞかし大変だったのではないかと思います。実際どうだったのか一度は聞いてみたいのですが、未だにできずにいます。


先生の殴る蹴るよりもっとひどい記憶があります。これは本当に今まで誰にも言ったことがありません。

他は許せてもこれだけは一生許せない記憶です。

3年生の担任は決して自分では手を上げませんでした。
が、忘れ物をした生徒はお互いを平手打ちするというのをやらされました。
力が弱いとやり直しを命じられました。
自分をからかった相手なら全力でやりましたが、自分に何をしたわけでもない同級生をどうして全力で殴ることができるでしょうか?
3回くらいやり直しを命じられ、泣きながら友達を引っぱたき、彼からは思いっきり引っぱたき返されたのをよく覚えています。
その友達には一回で終わらせることができなくて申し訳なかったと思う一方、その先生(先生と呼ぶのも嫌なくらいですが)への憎しみだけは今でも消えないでいます。忘れ物を注意するなら他にいくらでも方法はあったはずです。現にそんな方法を使ったのはその先生一人だったのですから。自分は手を上げないで人にやらせるなんて卑怯にもほどがある。


我ながら、よくもまぁ不登校にもならず、大学まで行けたものだと思います。
今はそれなりに仕事をしていますし、あれだけ憎んでいる学校の先生に指導をすることがある立場にいるのもなんだか不思議な気がします。

どうしてあの暗い暗い小学生時代を生き抜くことができたのでしょうか?
ちょうど小学校に入った頃(1982年)、我が家にパソコンが来ました。「これからコンピュータの時代が来る」と、父親が兄に買ったものでした。今思うと父親も先見の明があります。
この小中学生にはもったいないくらい高級なオモチャに見入られました。当時のパソコンは自分でプログラムを作らなければ動きませんでしたから、お小遣いでパソコン入門の本を買い、全部暗記するくらいの勢いで読みました。
三角関数や対数など、どうしても小学生には理解が難しい概念が出てくると、「いつかは使えるようになってやる」と今度は数学の本を読みあさりました。まぁさすがにこれは中学生になってからですが。
一人だけ近所にやっぱりパソコンを持っている友達がいて、彼の所にしょっちゅう遊びに行っていました。
ゲームをしたり作ったりして遊びながら、「将来はプログラマーになる」などと夢を語っていました。

以上から考えると、一つは夢中になれるものがあったこと、もう一つは夢を語り合える友達がいたことが、小学生時代を耐え抜いた理由なのだと思います。
それ以降も興味の対象は転々としたのですが、常に誰かに夢や理想を語ってきました。実現しなかったものもたくさんありますが、夢や理想を語り続けてきたからこそ、その後も何度も挫折や絶望を味わいながら今日まで生き延びたのだと、「のび太」という生き方を読んで気がつきました。

・・・2時から書き始めて今5時半です。ようやく少し眠くなりました。それでは今日はこの辺で。

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前にもお話したことがあるかと思いますが、りゅうじさんと私は基本的に良く似ています。

根本的に大きく違うのは、学力のみの違いだと思います。

あちきも小3・4年の時に先生に対して挫折を味わいましたね。幸い5・6年の時の先生に助けられましたけど。

私は小学生まではホントどんくさかったです・・・
どっちかっていうとオタク系だったのかなぁ。
まぁ、今もオタクっちゃ、オタクですが・・・んー、自転車オタクって言うのもなんか変。自転車は外走るもんだし(笑)

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このページは、りゅうじが2011年4月30日 02:00に書いたブログ記事です。

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